観光客・修学旅行生に人気の「会津伝統ソースカツ丼」と「自家製手打ちそば」 会津の味処 桐

TEL:0242-27-1098

営業時間/午前11:00~午後9:30(休憩 午後3時~午後5時まで)不定休 住所:福島県会津若松市栄町2-22
鶴ヶ城
若松城は旧市街地の南端に位置し、郭内(武家屋敷)と町屋敷が外濠で隔てられ、さらに郭内の内側に内濠を有する梯郭式の平山城である。城跡は都市公園鶴ヶ城公園となっており、そのほとんどが国の史跡に 指定されている。史跡外の三ノ丸跡には陸上競技場、市営プールおよび福島県立博物館がある。また、再建されたは 若松城天守閣郷土博物館として利用されている。
神明神社
神道流槍刀の術中興の祖、飯篠 家直(いいざさ いえなお)『飯篠長威斉家直』の崇敬の神にして長威斉六代の孫七郎太夫盛枝が御神体を奉じ当会津に来る時に芦名氏が深く信仰する事となり古川(会津若松市 門田町)の辺りに祭り、盛枝を以て神職とし社領を与えた。代々の領主の信仰も厚くし、保科氏に至っては会津領四郡の拝所とした。文久元辛酉年一月二十四日(1861年)名代を以て年々白銀を献上。同三年、諸殿不残造営(社殿などを建てる事)、慶応二丙寅年七月十九日 (1866)遷座した(御神体を新殿に移動する事)。領主より幕及び灯燈を献上。明治元年八月(1868年)、兵火により社殿を残らず焼失した為、同二年仮殿を造営する。同四年若松県管内人民の伊勢神宮の遙拝所(参拝所)とし た。神明神社という名称は、旧号伊勢宮を明治四年(1871年)に神明神社と改称した。 昭和十九年十月(1944年)、若松市の都市計画街路事業道路新設工事施工の際に現在の場所に移転した。そして昭和三十年十一月(1956年)、長 年要望があった神楽殿の造営となり日々参拝者も増えた。

昭和41年発行『神明通り開通20周年記念誌』より

野口英世青春通り
会津若松市の中心部を南北に伸びるこの通りは、博士の過ごした時代(1890年 代)も人々の往来の多い、市の中心繁華街として賑わっていました。 通りには博士が15歳のとき、幼い頃背負った手の火傷の手術を受けた「会陽医院」跡が現存 しています。その手術の成功に感動した博士は、自分も医師になることを決意し「会陽医院」 に書生として住み込み、勉学に励みました。そして医師開業試験を受験するために 上京するまでの数年間をこの地に暮らしました。街の至るところに博士の足跡が残されています。悩み多き青春時代を象徴するように、 博士はこの街に現存するキリスト教の教会で洗礼も受けています。また、初恋の人といわれている 山内ヨネの生家跡も残されています。博士は、まさに青春真っ只中をこの街で過ごしたのです。そして今、私たちは博士の青春時代の想いを受けて、この街に住む人々、この街を訪れる 多くの人々の心に、もう一度青春を問いかけるーそんな場所となることを願い この街を「野口英世青春通り」と呼んでいます。

『まちなか観光推進団体ホームページ』より

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